寺山修司少女詩集
寺山修司の寺山修司少女詩集をそこそこ読んだ。
冒頭の
『一ばんみじかい抒情詩』
なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です
というのに惹かれて買った。
こういうのはたまに読むに限る。似た内容が多いから、1/10でも私には十分。
冒頭の
『一ばんみじかい抒情詩』
なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です
というのに惹かれて買った。
こういうのはたまに読むに限る。似た内容が多いから、1/10でも私には十分。
英国製エリートは本当にすごいのか?
皇帝の新しい心
春休みは部活と物理をやっていた
和書は、猪木川合、砂川の量子力学で摂動論を、柏太郎の演習場の量子論を経路積分まで、高橋康の古典場から量子場への道を。
洋書はマンドルのQFTとファインマン経路積分を途中まで。
4年になったので久々に本を読もうと思い、ペンローズの『皇帝の新しい心』を最近借りて読んだ。
面白そうな内容に触れてあった。一度読んで、http://www.geocities.jp/neee1975/emperorsnewmind_pre.htmを参考に読んで、分からない用語を調べて考えた。やっぱり量子重力理論が心の理論というのには飛躍があると思った。
和書は、猪木川合、砂川の量子力学で摂動論を、柏太郎の演習場の量子論を経路積分まで、高橋康の古典場から量子場への道を。
洋書はマンドルのQFTとファインマン経路積分を途中まで。
4年になったので久々に本を読もうと思い、ペンローズの『皇帝の新しい心』を最近借りて読んだ。
面白そうな内容に触れてあった。一度読んで、http://www.geocities.jp/neee1975/emperorsnewmind_pre.htmを参考に読んで、分からない用語を調べて考えた。やっぱり量子重力理論が心の理論というのには飛躍があると思った。
The Turin Horse ニーチェの馬
やはりTrailerよりも圧倒的に映画館の方が美しかった。二人以上で行くべきではない映画だと思う。
(一応、書評誌にも載せてもいいだけの尺で書いておく)
ニーチェの馬。タイトルからして面白そうと、とある雑誌のレビューを読んで、観てみようと思っていた。哲学者ニーチェは晩年、鞭打たれる馬に駆け寄った後、発狂した。馬がその後どうなったのか、というのがこの映画の筋である。
観る前に私はこの作品にどれだけのものを求めていたのだろう?哲学、映像美、ちょっと外れたものを観てみたい。最後の作品だそうであるし。そんなところだった。どうしてこの映画を観てしまったのだろうと今になって思う。
セリフが少なく、ただ自分がそこにいるだけのように観させるこの映画は、本来言葉で語るようなものではない。
この映画はアナログで録られているらしく、モノクロの画面と相まって、異様な現実感を映し出す。ワンシーンが長く、しかも日を変えて反復する。陰気な音楽を聴きながら、途中で眠くなったり、退屈し過ぎて死にそうになったりしながらも、言ってしまえばただジャガイモを食べるだけのこの映画を、二時間半もかけて目を開けて観るだけの価値はどこにあったのか。
映画は非日常の場で、退屈な日常から一時でも目を逸らす、ものであるはずだ。ふざけたことに、この映画は、更に退屈な日常を描いてのける。普段ならどうでもいいことを、映画で観る。どうでもよくて見向きもしないこと、目を向けることを忘れてしまったことに直面して、どう感じたか。
最終日まではそう思って、どういう日々を送りたいだろうかなどと考えながら観ていた。
最後に火を奪われて、ジャガイモを食べるシーンでこの映画はクライマックスを迎える。全く華やかでなく、悲しくもなく、麻痺した心がその働きを止めてしまうような、そんなクライマックスだった。
眠気に打ち勝ったものの、このシーンで完全にこの映画に負けてしまったと思った。解釈をしたら負け。解釈をしなくてもやがて負ける。それが終わりというものなのだろう。




